『お・は』102号『「平成」の子育てはなぜ難しかったのか。』 を読んで

2018年10月17日

感想をお聞かせください

『お・は』102号『「平成」の子育てはなぜ難しかったのか。』へ読者からお手紙を頂きました。『お・は』編集人の岡崎勝さん、編集協力人の石川憲彦さんからのお返事をご紹介します。
なお、読者からのお手紙にはできるだけ返信をさせていただきます。ご感想、ご質問をお待ちしています。

おそい・はやい・ひくい・たかい102

おそい・はやい・ひくい・たかい NO.102
「平成」の子育ては難しかったのか。

こんにちは。
私は、ずっと保育園で働いていました。
同時に障害のある人の介助もしてきました。
保育園も、コストコストコストで縮小されていきます。経済的合理性を追求するばかりで、がっかりです。
「ち・お」も「お・は」も、読んでいます。
私はとても収入が少ないので、近くの図書館にあるのはとてもラッキーです。
「お・は」の『「平成」の子育てはなぜ難しかったのか。』
まず、天皇制に自ら縛られたくない私は、「平成」でくくならくてもいいのに!と、感じましたが、世の中の流れにのったのだなぁ、と仕方ないと思いました。
私は石川憲彦さんの本を読んで以来、いつも石川さんの文章には注目しています。
今回、「マルタ」と並んで「イスラエル」を強い国として挙げていらっしゃいました。私は、イスラエルが、ガザや西岸地区でパレスチナ人を、ひどいめに遭わせていること。それ以外の地にも入植地を拡大していること。パレスチナの人々を殺しながらみがいている技術でもうけていること。アメリカの中東における植民地の役割をしていること。日本も、アベ政権によりイスラエル化していること。
を知っています。が、それ以外は知りません。
どういう意味でイスラエルが強い国なのか、私は、男女平等がすすみLGBTQ差別が少ないのもピンクウォッシュと思っているので、そんなにいい印象を持てません。
少し説明していただきたいです。
よろしくお願いいたします。
(東京都/M・T)
石川憲彦さんからのお返事
 お手紙ありがとうございます。
実は、このような反応を期待して、ちょっと挑発的に書きました。
私も、イスラエルの現在の政策はひどいと思っています。しかし、実はイスラエルとした箇所は、他の近隣アラブ諸国の名前に置き直してもよいのです。
約2000年前、日本の歴史時代が始まるよりずっと前の時点で、マルタは二千年近く、イスラエルやアラブ諸国は数百年間、すでに外国の支配下に置かれていました。そしてそれ以後も、日本が被支配の歴史から自由だった間、ずっとこれらの国々はてんてんと他者の支配下に置かれてきました。
さて、そこからが私の言いたいところです。そのような最大4千年に及ぶ抑圧の歴史の中でも、彼らやその周辺地域はしっかりと土着の地域文化を守り抜いてきたのです。素晴らしく楽天的で陽気な文化はもちろんですが、深い悲哀と悲しみを秘めた思いやりもまた豊かな国民性。それは、人間は最悪で最弱な存在だが、なおそこに望みがあるという希望を宿しています。
マルタは軍隊も交戦権も認めています。しかし、私の滞在していたころは、総員200人。もっぱら、麻薬の蜜輸入監視や辿り付く難民救済が主任務です。この軍事力を持つからと言って、どの国もマルタ軍を脅威とは感じません。どこにも勝てない軍隊もあるのです。
しかし、彼らは日本人以上に自衛に自信を持っています。いざとなれば、また支配者は来るでしょう。それでも、どっこい生きていくだけの、人間観を築いてきたのです。
今イスラエルは、誤った選択をしています。ただ、民族の歩んだ歴史と必死に向き合おうとしているからこそ、時に大きく間違えるのです。
さて、その上で日本はどうなのか。私達は、どこまで生命をかけて何をどう自衛するのか? 世界のなかで、これからを生き抜いていくために、先の敗戦の時の自らの弱さをどう見つめ直すのか?
その点では、喉元過ぎれば熱さを忘れる。そして、まったくノー天気にあらぬ心配ばかりする。
そろそろ、本当に心配なことは心配し、そうでないことには大胆になったら。
そんなことを言うために、敢えて挑発的に書いたのです。
石川憲彦
岡崎勝さんからのお返事
「平成」表記について
明治以降、元号を日本の時代区分として天皇制支配の道具として使い、民衆を国民・臣民化したのは歴史の定説です。子どもたちにも、天皇が代わる度に元号は作られたのだけれど、それとは別に「政治体制」として江戸時代とか室町時代と言うのに、急に明治になってから「天皇元号」を使うようになった理由などを説明してきました。
今回「平成」という元号を表題に使ったのは、そうした天皇制的元号の側面もありますが、それよりも1989(H1)年前後から最近にいたる「教育改革の時代」を「平成」という括弧付きの年月でくくってみたということです。
私自身も昭和天皇Xデーはじめ、元号には異議もありますし、天皇制そのものは政治体制だけでなく、日本という国家機関の在り方や日常的生活そのものを問う問題だと認識しています。ご指摘のことは十分承知した上での「平成」表題でした。ある意味、ご指摘・ご批判いただいてうれしかったという気持ちが強いのです。
(しかし、西暦表記もなんとかしたいなあと思っています。)