学校で困ったとき・先生を頼りたいとき

2019年12月13日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
小学校教員
岡崎 勝

この連載は、親御さんや学校で働くみなさんがもつ悩みや困ったことに、「お・は」編集人のボクが率直に答えていく連載です。
炎上覚悟(笑)! どうか、「参考」になればと思います。
もちろん本誌も読み応えがありますから、そちらもどうぞ。

連載7 先生にいいたいことを伝えたい!(上級編)

 学校のトラブルでは、行き詰まると「裁判」になることがあります。
死にいたる事件やあきらかな暴力については警察が絡みますから、ここではあまりくわしくとりあげません。
若干曖昧ではありますが、体罰や暴言、対応のまずさ、保護者の要求の無視などを、法的に裁判ではっきりさせたいときにどう考えるかということが中心になります。
最近はスクールロイヤーという専属の弁護士などを待機させている学校や教育委員会もあるようですから、裁判はある意味ぐっと身近になってきました。
 今回は、「裁判を起こす」ということについて、お話ししたいと思います。
1) 二つの裁判 (訴訟)
 裁判には簡単にいうと二つの種類があります。
一つは「犯罪」があった場合におこなわれる「刑事訴訟」です。
死亡や暴行などあきらかに子どもに被害がおよんだとなれば、保護者は医師の診断書を持参して、警察に被害届を出します(事件として、被害届を出す前に加害者が逮捕される場合もあります)。すると、警察がある程度調べて、それが犯罪に相当するということになると、加害者は「起訴」され、裁判にかけられて「有罪」「無罪」の判決があり、有罪ならば、懲役や罰金の刑罰があたえられます(日本では起訴されると99%有罪になります)。
 このような裁判は、公的な権力が違法性を明確にして社会の安寧をはかるためのものであり、市民がおこなう裁判とはちがいます。
加害者から被害者に対しての謝罪や慰謝料は、強制されるわけではありません。
 また、被害届が出されても、比較的軽微な内容であったり、当事者間で話しあえば解決できる程度であると考えられるものは、警察はかかわりませんとなり、それが受理されない場合もあります。
 もう一つは、一般的に保護者が、被害者=原告(訴えるほう)と加害者=被告(訴えられるほう)となって争う裁判で「民事訴訟」といいます。
これは、相手に損害賠償を請求することができます。……というか、お金でしか賠償は請求できません。
そのため、裁判の訴状(訴える書状)には、慰謝料や損害賠償金として請求額を示さなければなりません。「謝罪してくれればいい」「お金がほしいわけではない」といくらいっても、日本では賠償請求をお金で表現しないと裁判はできません。
 公立学校の場合、学校の教育方針がおかしいとか、いじめ解決の手続きがおかしいということで裁判をするのであれば、学校の教員個人ではなく、責任主体である教育委員会などを相手に訴訟を起こすことになります。これは「行政訴訟」といって、個人ではなく行政それ自体を訴える制度です。
もちろん、教員個人を訴えるという方法もありますが、今回はかなり煩雑になるので省略します。

2) 裁判の進め方
 裁判は弁護士に依頼しないといけないと思っている人もいますが、そうではない方法もあります。
自分で訴状をすべて書き、自分で裁判所に訴えることを「本人訴訟」といいます。ただし、これはおすすめしません(ボクは何度もやりましたが・笑)。
自分ですべてやると、費用はかなり安いですが、法律にくわしくないと、またはかなり勉強しないとできません。
ハウツー本もありますので、興味があれば読まれるといいです。簡単そうに書いてありますが、訴状はたくさん書かなくてはなりませんから、弁護士に相談し、代理人をしてもらうほうが賢明です。
 裁判が始まると、最初のころは訴状のやりとりのみです。これだけで、少なくとも3ヶ月から半年はかかります。
そして、証人を呼んで尋問もします(本人訴訟だと尋問も自分でやらなければなりません)。1ヶ月に1回程度ですが、かなり長期にわたりますから、けっこう疲れます。タフさが要求されます。
訴状や文書を提出するのに時間がかかると、その吟味を裁判所がするので、どんどん審理が遅れます。
 裁判の費用は、弁護士に依頼すれば数十万から数百万におよぶこともあります。「法テラス」という相談機関に行けば、費用についてはいろいろと相談にのってくれます。
しかし、たとえ勝訴しても、民事訴訟では、損害倍所請求や慰謝料はそれほど多額にはとれません。これも弁護士に聞いてみることが肝要です。
3) 裁判のリスクについて
 裁判のリスクも知っておかねばなりません。リスクを知ったうえで、とりくむべきです。
①精神的な緊張とストレスが長期にわたる
怒りだけでは長続きしません。相手に思い知らせてやるというのも、覚悟をしないとなかなか続きません。思いつきや短気で裁判をするものではありません。裁判をやる意義がないと、なかなか続きません。
②子ども本人と家族の協力が必要
家族のみんながおたがい励ましあわないと、当事者の孤立感だけが増幅します。その点、怒りだけの共有で裁判を続けることは家族にはつらいと思います。なによりも、子ども本人が裁判の影響を受けますから、慎重に進めるべきだと思います。誰のための、なんのための裁判か、わからなくなっては困ります。

③社会的に訴える内容が必要
私怨だけでは裁判は続きません。また、自分が正しいと思っても「社会通念」からいうと受忍の範囲内(我慢できるでしょ)だといわれることもありますから、第三者にも内容を吟味してもらうことが必要です。
④勝訴も敗訴も受け入れるかまえを
自分は正しいと思うから裁判をするのですから、それが揺らいではいけません。また、敗訴になっても、裁判をした意味が必ずあるはずですので、それをはっきりさせることがいちばん重要です。
⑤支援者を大事にしつつ、支援者に過剰に期待しない
支援者は必要ですし、多いほうがいいです。しかし、支援者も人間ですから、最後の最後までつきあってくれるかは不明です。あくまで、支援は支援でしかありません。最後は自分でがんばるくらいの覚悟は必要です。
 いずれにせよ、裁判はそれなりの覚悟がないとできません。口先だけで相手に「訴えてやる!」というのはあまり賢い方法とはいえません。

結論
「『訴える!』必要があると思ったら、リスクを知り、それなりの覚悟で」

(次回、最終回です)

前回 連載6 先生にいいたいことを伝えたい!(途中編その1) ――学校トラブルをメディアでとりあげるのはアリ!?

 おかざき・まさる

1952年愛知県名古屋市生まれ。小学校教員43年め。フリースクール「アーレの樹」理事。1998年より「お・は」編集人。きょうだい誌「ち・お」編集協力人も務める。著書に『きみ、ひとを育む教師ならば』『ガラスの玉ねぎ こどもの姿を写し出す1年白組教室通信』(ともに小社刊)、『みんなでトロプス!』(風媒社)、『学校再発見!』(岩波書店)、『新・子どもと親と生活指導』(日本評論社)、『センセイは見た!「教育改革」の正体』(青土社)、共・編著に『友だちってなんだろう』(日本評論社)、『がっこう百科』(小社刊)など。

 

 

おそい・はやい・ひくい・たかいNo.106
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