障害のある子は、普通学級に行けないの? 

2019年2月13日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
小児科医
山田真

連載31 母親たちの願いから始まった高校全入運動

◆前回までのお話
小児科医・山田真さんの娘・涼さんは知的障害をもっています。小・中学校を地元の「普通学級」で過ごし、3年の浪人ののち都立高校普通科に入学しました。その軌跡とともにあるのは、東京の運動体である「障害児・者の高校入学を実現する連絡協議会」(連絡協)です。連絡協の活動を中心に東京での運動の歴史をふり返ってきたなかで、「障害児を普通学校へ全国連絡会」(全国連)や高校全入運動についてふれました。

戦後、高校への進学率は急上昇!

前回の終わりに高校全入運動について少し書きました。高校全入運動というものが起こった背景には、中学から高校への進学率が急激に増えたという事実があることにもふれました。

今回は、まずこの“進学率の急上昇”について、前回よりくわしいデータを紹介することから始めましょう。

戦前は中等学校と呼ばれていたものが、戦後は高等学校(高校)と呼ばれるようになったのですが、新制高校の発足は1948年(昭和23年)4月のことでした。

文部省(現文部科学省)の統計によると、発足後2年である1950年の高校進学率は男子が43.0%、女子が36.7%で平均42.5%です。

つまり全国平均で中学卒業生100人のうち、42人ほどが高校に進学していたわけで、男子は100人のうち43人、女子は100人のうち37人が進学していました。

男子と女子のあいだに大きな差があり、このころはまだ「女子に高等教育はいらない」といった風潮が残っていたことがわかります。

5年後の1955年には男子55.5%、女子47.4%となり、10年後の1960年には男子59.6%、女子55.9%となり、翌1961年に男子63.8%、女子60.7%と両性で60%を超えます。

1965年には男子71.7%、女子69.6%となり、1970年には男子81.6%、女子82.7%となります。ついに高校への進学率は8割を超えたのです。

ここでは、女子の進学率が高くなっていることにも注目しましょう。高校進学という点では、性差別は解消してきているといってよいように思います。

希望するものは全員入学させてほしい

このような状況のなかで、保護者の高校に対する意識が変わってきました。

戦前の中等学校は一部エリートや金持ち階級の子弟のためのものと思われていましたが、戦後の高校、とくに進学率が8割にもなった状況での高校は「だれでもが入れる学校」とイメージされるようになったのです。

保護者たちは「せめて高校だけは」と願い、それが「高校を増設してほしい」「希望するものは全員入学させてほしい」という運動に発展していきました。

このような保護者の声を受けとめるかたちで、日本教職員組合(日教組)は1959年、「高校入試を廃止し全員入学をかちとる」という運動方針を決め、さらに1960年には次のように幅広く国民運動を展開していくことを宣言しました。

「小・中学校、高校教育の正常な発展をはかり、国民教育としての中等教育の確立と教育の機会均等の原則から、すべての青年に中等教育を受けさせるため、全国各地における昨年度までの積極的な闘いをさらに前進させ、高校全員入学の確立を全国民的運動として推進する」。

しかし、実際に全入運動をおこなったのは多くの母親たちで、日教組などはそれに応えるかたちで運動に参加していったのです。

「高校全員入学問題全国協議会」と「高校三原則」

1962年になると日教組、総評、母親大会連絡会などが世話人となって「高校全員入学問題全国協議会」(全入全協)の準備会が開かれました。

この準備会は、

「一、 進学希望者全員を入学させるため、国庫負担で高校を増設させる。
一、 入試地獄を解消し、高校教育を国民の要求に応えるため、差別行政を廃し、学区制、男女共学制、総合制を確立する。
一、 定時制高校を充実し、働く青年に公教育の機会を確保する。」

ということを掲げました。

ここで「学区制、男女共学制、総合制」という言葉が出てきましたが、この言葉に説明が必要でしょう。

これは「高校三原則」と呼ばれるもので、『現代教育史事典』(東京書籍/2001年)には次のように説明されています。

「戦後の高等学校設置の際の諸原則のうち、男女共学制、総合制、小学区制(原則として1校1学区)をいう。高等学校は、旧制中等学校(中学校、高等女学校、実業学校)、青年学校などに分岐していた教育機関を一元化し、義務制に準じた学校として中等学校をすべての青少年に開放することを目的として発足した。しかし、1948年4月に発足した新制高等学校は、ほとんどの場合従来の中等学校を転換した形で出発し、旧制中等学校の伝統が色濃く残っていた。そこで、高等学校の理念を現実の制度として実現することをめざして、発足したばかりの高等学校の再編成(統廃合)が48年秋から50年にかけて各都道府県で大規模に実施された」。

「三原則」の実施状況は?

この“統廃合の指示”はアメリカ総司令部(GHQ)によっておこなわれたものでしたが、これによって新制高等学校としての再編がなされたことになります。再編の際、地域によっては“全日制と定時制の同等性の保障、両者の差別の解消”などを原則に掲げるところもありましたが、多くの地域で男女共学制、総合制、小学区制の三つが再編の原則とされたのでした。

この三原則の実際の実施状況についても、ちょっと見ておきましょう。

まず男女共学制ですが、当時、文部省は「必ずしも実施しなくてもよい」としていましたが、西日本を中心に半数以上の府県でほぼ完全に実施がされました。

しかし、東北地方などでは実施率は非常に低かったのです(いまでも、たとえば群馬では男子校の前橋高校、女子校の前橋女子高校が公立校として存在しています)。

総合制というのは、一つの学校のなかに普通科と専門学科など多様な学科を併設し、他学科開講の科目の学習をしたり生徒間の交流をはかったりすることをめざしたものですが、ほとんど実現しませんでした。

当初は統合したものの、すぐに分裂して旧制中学校を前身とする普通科高校と実業学校を前身とする農業高校、工業高校、商業高校、水産高校に分かれてしまいます。

小学区制については、次回にお話しします。
(次回につづく)

前回 連載30 全国連の始まりと「高校入学問題の歴史」


娘・涼さんと

 

プロフィール
やまだ・まこと
小児科医。八王子中央診療所所長。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。本誌編集協力人。

 

 

 

 

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