障害のある子は、普通学級に行けないの? 

2019年12月13日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
小児科医
山田真

連載33 大学の進学競争に影響をおよぼした「学区制」

◆前回までのお話
小児科医・山田真さんの娘・涼さんは知的障害をもっています。小・中学校を地元の「普通学級」で過ごし、3年の浪人ののち都立高校普通科に入学しました。その軌跡とともにあるのは、東京の運動体である「障害児・者の高校入学を実現する連絡協議会」(連絡協)です。連絡協の活動を中心に運動の歴史をふり返り、高校の入学制度についてもお話ししてきました。
京都で始まり15の都府県で実施
 高校制度の変遷をふり返ってお話ししています。
 前回、総合選抜方式についてふれ、詳しくは次回にということにしましたので、今回少し詳しく総合選抜方式のお話しをします。
 総合選抜というのは、「学校間格差の解消を目的として、居住地や学力などによって合格者を学区内の各校に平均的に振り分ける制度」です。前回もお話ししたように、1950年に京都府知事だった蜷川(にながわ)虎三さんによって始められた方式ですが、15の都府県で実施されたにとどまりました。
 その15の都府県の名前と、それぞれいつ始まっていつ終わったかを紹介しましょう(この方式がずいぶん長いあいだ続いたところもありますが、いまはすべての県で廃止されているのです)。
京都府(1950〜2013年) 兵庫県(1953〜2010年) 岡山県(1950〜1999年) 広島県(1956〜1998年)
徳島県(1972〜2003年) 長崎県(1950〜2003年) 大分県(1951〜1995年) 宮崎県(1963〜2003年)
東京都(1967〜1982年) 千葉県(1975〜1980年) 愛知県(1973〜1989年) 岐阜県(1974〜1983年)
三重県(1974〜1995年) 福井県(1980〜2004年) 山梨県(1968〜2007年)
 発祥の地の京都では、63年間も続いていたのですね。でも、京都に住んでいる人でも総合選抜という言葉にはなじみがないのではないでしょうか。総合選抜は一般的には「学校群制度」と呼ばれていて、この言葉ならわかるという人がいるでしょう。
 具体的な例を挙げて、どんな選抜方法かをお話しします。

 まず京都府ですが、京都市と乙訓地区(向日市・長岡京市・大山崎町)から成る地域を北と南の二つの通学圏に分けました。そして報告書(内申書)と学力検査の成績をもとに合否が決定されると、志願者の住所から最寄りの交通アクセスに基づき入学校が決定されました。
 これは義務教育の小・中学校での学区制に似たかたちです。
 自分の住んでいる地域に近い高校に進学するわけですから。たしかにこのかたちですと、高校間格差は小さくなり、受験競争も緩和されると思います。
 しかし、京都以外の地域でおこなわれた総合選抜は、京都とはちがうかたちでした。
目指す高校に入れない可能性のある「ふり分け」の仕組み
 愛知県の場合を例にとって説明することにしましょう。
 愛知県の県庁所在地である名古屋市では、市内の15校を2校ずつペアにして、15パターンの組み合わせをつくり、そのどれかひとつを受験できるようにしました。
一群は菊里高校と千種(ちぐさ)高校、二群は千種高校と旭丘高校、三群は旭丘高校と北高校、四群は北高校と名古屋西高校というふうな組み合わせです。
 ぼくは岐阜県の出身なので、お隣の愛知県についてある程度知識があり、ここに挙げた高校の名前にもなじみがありますが、多くのみなさんはご存じないだろうと思います。
 ぼくが岐阜高校の生徒だったころ(1950年代の後半という昔です)、名古屋市の公立高校では旭丘高校がいちばんの進学校でした。
 愛知で学校群制度が始まった1973年当時も旭丘高校が進学校としてトップの位置にあったと思います。そうすると成績のよい生徒は、旭丘高校に集中するということになります。それが学校群制度になると様相が変わります。
 たとえば、第二群を受験した場合、合格した生徒は旭丘高校と千種高校にふり分けられます。そのふり分け方は、京都のように自宅に近い高校に行くかたちにされるのではなく、入学試験の成績が一番の生徒は旭丘高校、二番の生徒は千種高校、三番の生徒は旭丘高校、四番の生徒は千種高校といったふり分けをされたといわれています。
 このようなふり分けがおこなわれると、旭丘高校を目指していた生徒の半分が千種高校へ行くことになり、成績のよい生徒がみんな旭丘高校へ行くという一極集中が崩れます。実際、この学校群制度の導入によって、千種高校の国公立大学への進学率は急上昇し、一時は旭丘高校よりも上位の進学校になりました。
 一方、三群は旭丘高校と北高校の組み合わせですが、北高校はいわゆる進学校ではありませんでした。そこで、この三群を受験して合格しても、二分の一の確率で北高校へ入ることになるということから、成績のよい生徒は三群を避け、二群を受験するという傾向になったようです。
 というわけで、受験での学校群制度は地区でトップの進学校への一極集中から二極集中といったかたちに変化はしたものの、高校間の格差是正ということにはつながらなかったようです。

東京では導入で大きな変化が
 東京の場合は、学校群制度の導入で大きな変化が起こりました。東京では1967年に始められました。
東京の場合、「学区制の枠内で学校格差を緩和しようとしてとられた高校入試の改革策」ととらえられましたが、その具体的な内容は愛知と同様でした。
各学区に複数校を組み合わせた学校群を数個おき、受験生に受験群単位で志望させます。たとえば、日比谷高校、九段高校、三田高校の3校を11群というひとつの群として組み合わせ、11群を受験して合格した生徒を3校にふり分けるのです。ふり分け方は愛知と同様、成績順にふり分けたようです。
 生徒にとっては合格したものの、3校のうちどの高校へ行くことになるのかわからない期間があり、不安をもつことにもなったでしょうね。
(次回につづく)

前回 連載33 大学の進学競争に影響をおよぼした「学区制」


娘・涼さんと

 

プロフィール
やまだ・まこと
小児科医。八王子中央診療所所長。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。本誌編集協力人。

 

 

 

 

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