障害のある子は、普通学級に行けないの? 

2018年5月30日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
小児科医
山田真

連載27  法的に規定された高校の入学資格

◆前回までのお話
小児科医・山田真さんの娘・涼さんは知的重複障害をもっています。

小・中学校を地元の「普通学級」で過ごし、3年の浪人ののち都立高校普通科に入学しました。その軌跡とともにあるのは、東京の運動体である「障害児・者の高校入学を実現する連絡協議会」(略称、連絡協)です。

連絡協の活動と東京都で障害児が高校受験する際の配慮を紹介するなかで、加点方式による「選考の特例」について説明しました。

「不適切な合格」とみなされた生徒は不合格に

知的障害の子どもが高校進学を目指すとき立ちはだかるのが、「適格者主義」といわれるものだということを前回お話しました。

 適格者主義という言葉を、誰がいついいだしたものかぼくは知りませんが、障害児の高校入学を実現するための運動をするなかで何度もこの言葉に出会ってきました。

 

高校教師の多くが、この適格者主義を信じているという話を聞いたことがありますし、生徒を高校へ入学させるかどうかの決定権を握っている学校長はとくに適格者主義を強く信じているともいわれます。

 

これまでに何度かふれてきましたが、東京など数都府県を除いても全国各地で「高校の定員内不合格」ということが、いまでも見られます。

これは、たとえば定員100高校に90人しか志望者がなかった場合でも、何人かが不合格にさせられるということです。

定員にみたないのですから全員合格になるのがあたりまえなのに、校長が〝不適格〟とみなした生徒は不合格になってしまうのです。

不合格になった理由を問うと、「高校は進級、卒業の見込みがある子どもだけが来るべきところで、その見込みのない子どもは来るべきではないから」とこたえられることもあり、これが適格者主義の本質といえると思います。

では、法的にはどのような子どもが高校への入学資格ありと規定されているのか見てみることにしましょう。

みなさんは六法全書を読むことがありますか。

法曹関係の人などはべつにして、一般の市民は六法全書を開くことなどほとんどないと思います。

法律というものはほんらい、一般の市民を守るためにあるはずですが、「法律は自分を守ってくれるから六法全書を座右の愛読書にしている」というような人はめったにいないでしょう。

ぼくはいろいろな市民運動をする中で、法律の力を借りようと考えて六法全書を開くことが少なくありませんが、ほとんどの場合、失策に終わりました。

日本の法律は難解な言葉で書かれ、文章としても悪文が多く、いろいろに解釈できてしまうような条文ばかりといっていいのです。

ですから、人によって解釈が違ったりするので、論争のための武器になりません。

それでも、ぼくはときおり六法全書を開いて、教育法などについてはかなりくわしくなりました。ここで、高等学校について法律ではどう規定されているかを調べてみることにしましょう。

高校は国や社会の役に立つ人間を養成する場所

学校教育法の第六章は「高等学校」です。この章の最初である第五〇条は、次のように書かれています。

高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。

これはまあ、無難な表現といってよいでしょう。次を見ましょう。

 

第五一条 高等学校における教育は、禅定に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

義務教育として行われる普通教課の成果 を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の 形成者として必要な資質を養うこと。 

社会において果たさなければならない使 命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な 知識、技術及び技能を習得させること。

 個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。

ここでちょっと問題になる文言が出てきました。

まず、「国家及び社会の形成者」って具体的 にイメージすることが困難ですね。このよく わからないものに〝必要な資質〟というのが、 どんなものかはもっとわかりません。

そのあとに「社会において果たさなければ ならない使命」という言葉が出てきますが、 これがまたよくわかりません。

ぼくたち一人 ひとりがすべて使命をもっているということでしょうか。

もし、そういうものがあるとして、「それは具体的にはどんなものか」と聞か れたら、多様な回答が得られるでしょう。

とてもあいまいな言葉ですから、現場の教師それぞれが「これが社会で果たすべき使命」と考えるものを生徒に自覚させようと努めているのだろうと推量されます。

そして三を見てください。

この文章全体もあいまいですが、そのなかにとりわけ気をもまされる言葉がまじっています。

それは「健全な批判力」という言葉です。

ここはたんに「批判力」といえばいいものを、わざわざ「健全な」という修飾語をその上にのせています。 

そもそも批判力に、健全なものと不健全なものがあるのでしょうか。あるとしたら、どんな批判力が健全で、どんな批判力が不健全なのでしょうか。

たとえば学校を批判したり、教師を批判したりするのは、不健全な批判力ということになるのだろうと思われます。

そしてこの第五一条全体を見直してみると、高等学校という存在が「国や社会のために役に立ち、素直な心をもった人間」を養成しようとする場所なのだということがわかってきます。

そうだとすると、たとえば知的障害の子どもなどは国の期待にこたえられない人とみなされ、排除されることにもなるだろうと思えてしまいます。

今回は法律の紹介で終わってしまいましたが、この学校教育法第五一条は「はみなさんにもぜひ知っておいてほしいので、くわしく紹介しました。法律の紹介は次回も続きます。

娘・涼さんと

●連載26 面談で加点による「選考の特例」

プロフィール
やまだ・まこと
小児科医。八王子中央診療所所長。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。本誌編集協力人。