アニメをこんなふうに観てみると

2018年8月24日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
児童文学研究者
村瀬 学

連載12 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』に折りたたまれているもの

©2016 TWO STRINGS, LLC. All Rights Reserved.

物語の舞台は中世の日本。

片目を失ったKUBO/クボと呼ばれる少年が、三味線を弾きながら母から聞いた武士・ハンゾウの物語を村人たちに語って聞かせ、生計を立てています。その三味線は不思議な力をもっていて、彼が弾くと折り紙が勝手に立ちあがり動き出します。
そんな折り紙を使った人形アニメの造型の美しさ。思わず見入ってしまいます。
この作品は、そのような日本の文化を満載した作品ですが、制作者はアメリカ人の監督、トラヴィス・ナイトです。
それにしても、彼が日本文化やジブリアニメの大ファンというだけで、膨大な制作費のかかるストップ・モーションで日本の文化をアニメにする必要はあったのだろうかと思います。なにか特別な理由があったのではないかと。

どうして、祖父がかわいいはずの孫を狙うのか?

母が息子に教える物語は、武士であった父・ハンゾウが、祖父の月の帝に殺され、さらに幼いクボの片目を奪ったものもこの祖父で、いまは二人の叔母とともに、クボの命を狙っているという話です。
それだけでは、しかしわかりにくい設定の物語です。どうして、祖父が、かわいいはずの孫の片目を奪ったり、命を奪うようなことをしなくてはならないのか。
母によると、この祖父(母の父)は魔物で、地上の武士たちを殺すように娘たちに命令していたのに、母だけが祖父の意に背き、武士と結婚し、子どもまでもうけてしまい、そのことが祖父には許せなかったというのです。
しかし、祖父が魔物であったなら、母もまた魔物でなくてはならず、二人の叔母のようにおそろしい存在でなくてはなりません。ただ、母のもつ魔力の一端は三味線に託しているので、それが息子・クボの力になっているという設定です。
一つわかっているのは、母が息子に語る父・ハンゾウの話が、途中で終わっているところです。最後がどうなっていたのか母には思いだせないのです。だからクボが三味線を弾きながら村人に語る話も、いつも途中で終わってしまいます。
ただ母がいうのは、襲ってくる月の帝や叔母たちと戦うには、三つの武具を手に入れなくてはならないということでした。それは、「折れない刀」「割れない兜」「突き刺せない鎧」の三つです。
クボは、迫り来る危機を乗り越えるために、その三つの武具を求めて旅に出ることになります。
母はその旅のお供に、木彫りのサルを持たせますが、旅のなかで、木彫りのサルは実際の生きた猿になりクボを助けます。さらには、折り紙でできたクワガタの武士も旅の友に加わり、三者で力を合わせ、やっと三種の武具を手に入れ、おそろしい刺客の叔母たちを打ち負かし、最後に魔物の正体を現す月の帝と戦い勝利することになります。

「魔物=権威」と戦うための「旅」の設定

こういうふうに展開するストーリーを説明しても、その現実離れした話は、合理的な理解を寄せつけません。ただ、話を少しちがったふうに要約し直すと、意外と身近な物語になっていることに気がつけるかも知れません。
そのちがった見方とは二つあって、一つは物語を「母の物語」としてみる見方です。というのも、この物語には、親のいうとおりに生きなかった女性の物語が描かれているからです。
少し視野を広くとってみれば、女性は「命令する祖父」のような、「男の意向」に添って動かざるをえないところがいっぱいあって、それに背くと「支援」を断たれる苦しみを味わうことになりがちです。そういう残酷な仕打ちをする「男の権威」はまさに「魔物」といってもいいものです。
もう一つは、「少年クボの物語」という見方です。彼は父のいない子どもとして育っています。だから母だけが頼りなのですが、母も傷を負い、母に頼るだけではやってゆけないこともわかってきています。

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そこでクボは「旅」に出る決心をします。母から離れる決心です。それは、母が戦った「敵」と、今度は自分が戦う決心をすることです。
その「敵」はいかにも「魔物」のような姿をしていますが、ほんとうは人々の自主性を踏みにじろうとする「抑圧的な古い権威主義」のようなものです。そういう「敵」なら、現代の社会にもまだまだたくさん見受けられます。
しかし「戦う」といっても、少年クボは小さすぎます。さらに戦うための支援をしてくれる「父」がいないのです。「父のいない少年」が、さらに傷ついた「母」から離れてどうやって戦うことができるというのでしょうか。
それだから、物語は、そういう少年を「戦う人」に育てるため、三つの武具を手に入れ得る「旅」の設定をしています。その「旅」は、少年が「戦う人」になるための通過儀礼になってゆくのがわかります。

地位や身分を失えば、ただの人間

そういうふうに考えると、月の帝の祖父が、なぜ娘たちに地上の武士を殺してくるように命令していたのか、わかるような気がします。この「武士=戦う人」たちが増えると、いつか自分の権威主義にたてつき、逆らうのではないかとおそれるようになるからです。
しかし母は、その地上の武人と結婚し、さらにまた武人となるような子どもを産んでしまったので、祖父としてはそのままにしておけないことになっていたのだと思われます。
物語の見どころは、クボの「旅」をじゃまする者たちとの息詰まるような戦いにあるのですが、それ以上に、彼を影ながら助ける、猿とクワガタのサムライとの夫婦漫才のようなやりとりも見どころです。

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二人はボロボロになるまでクボを支援します。そしてわかってくるのです。
この猿は母の化身であり、クワガタのサムライが父であったことについて。
そしてクボの弾く三味線の弦の一本が母の髪の毛で、もう一本が父の弓の弦で作られていたことについて。
物語の最後の死闘の果てに、魔物だった祖父が敗れて、ふつうのおじいさんになってしまうシーンが描かれます。
じつは世の中の「強権的で魔物のような権威」は、その人がもっている力なのではなく、地位や身分によってあたえられているものにすぎず、それを失えば、そこにいるのは、なんの力ももたないただの人間にすぎないということを見せているかのようなシーンです。
ここには、たとえば『ハウルの動く城』の最後で、おそろしい「荒れ地の魔女」がただのおばあさんになってしまっていたような場面を見てとる人がいるかも知れません。監督が宮崎駿の大ファンなので、その可能性を考えるのは楽しいものです。

「父」に出会い、「父」を知ること

物語の全体としては、母を失い、父の支援を受けられない少年が、それでも姿形を変えた父と母に支えられて生きているというところを描いている、というふうになっています。
それにしても、なぜ直接に、父や母が子どもを育てる物語にしないで、わざわざ姿形を変えた父と母が子どもを助けるという物語に作者はしたのかということです。
逆にいうと、じつはこの物語は、父を知らない少年が、旅のなかで姿形を変えた父に出会うという物語にもなっているのです。
はじめは、母の物語る結末のはっきりしない父の話のなかで「父」に出会い、次に父の部下だったというクワガタのサムライを通して「父」を知り、最後はそのクワガタが「父」であったことを知る、というふうに、です。
でもクボはとうとう生きた父に会うことはありません。
作者はまるで、「父」というものには、そういうふうにしてしか出会えないものなのだということを訴えているみたいです。
現代は「父権」が失われた時代だと指摘されて長くなるのですが、作者はそういう見方に疑問を投げようとしているみたいです。

「折り紙」を通してみる「いのち」

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 最後に、物語の底を流れる「目」のテーマについて少し触れておきます。
 幼少期からすでにクボは片目を奪われていて、母も目が見えているのかわからない表情をしています。海の底にも巨大な「目の玉」が出てきていました。
 作品の中で「目」を奪われるというのは、「真実を見る目」を奪われることの比喩になっていて、だから、権威者たちは「目」を奪えば、自分たちの不都合を見ぬかれないと思い、執拗に攻撃を仕掛けてきているように見えます。
 そして、最後の最後になりますが「折り紙」のことについても触れておきます。この人形アニメの大きなテーマは、「折り紙」そのものであったようにも思えるからです。
 「折り紙」はただの紙切れです。アニメも元は紙切れでできています。
 でもその紙切れに細工をすれば、さまざまな造型を作り出すことができます。作者は、日本の中世の文化やジブリ作品に魅せられてこのストップモーション・アニメを作っていたのではなく、この「折り紙」という不思議なものに魅せられて、物語を作っていたところがあるのです。
 というのも、世界には折りたたまれているときには見えないのに、それを広げることによって見えてくるものがたくさんあるからです。
 「いのち」も、元をたどれば折り紙のように折りたたまれているものです。じつは「父」や「母」というものも、ふだんは折り畳まれていて目には見えないところがあるものです。
 その「折り紙」の魅力を開くのが、クボに託された不思議な弦をもつ三味線でした。その三味線の二本の弦が「父」と「母」であったという設定の深淵さ。三味線と折り紙と、いのちを考える不思議な旅。これをこのアニメに感じとってもらえれば、物語の不合理さはどこか飛んでいってしまうのではないかと私は思いました。

 

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プロフィール
むらせ・まなぶ
同志社女子大学特任教授(児童文化論)。第34回日本児童文学学会奨励賞受賞。
『13歳論--子どもと大人の「境界」はどこにあるのか』(洋泉社)、『宮崎駿の「深み」へ』(平凡社新書)、『長新太の絵本の不思議な世界 哲学する絵本』(晃洋書房)ほか著書多数

 

 

 

 

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