障害のある子は、普通学級に行けないの? 

2018年11月16日

『おそい・はやい・ひくい・たかい』連載
小児科医
山田真

連載30 高校入試にのみ採用されている「適格者主義」

◆前回までのお話
小児科医・山田真さんの娘・涼さんは知的障害をもっています。小・中学校を地元の「普通学級」で過ごし、3年の浪人ののち都立高校普通科に入学しました。その軌跡とともにあるのは、東京の運動体である「障害児・者の高校入学を実現する連絡協議会」(略称、連絡協)です。連絡協の活動を中心に東京での運動の歴史をふり返るなかで、「適格者主義」という考え方についてとりあげてきました。

障害児も普通学校でともに育ち、学ぶために

この連載では、障害をもった子どもの高校入学運動について、東京での運動の歴史を中心にして書いてきましたが、この数回はいわゆる「適格者主義」についてお話ししてきました。
そんなおり、たまたま古い資料を見つけました。それは、1987年か1988年のいずれかに「障害児を普通学校へ全国連絡会」の世話人会で、障害児の高校入学について勉強会をしたときにもちいた資料です。
「障害児を普通学校へ全国連絡会」(略称を「全国連」といいます)について説明が必要ですね。
全国連は1981年に結成されましたが、それは時代に応えて結成されたといえます。
1970年代後半まで、重い障害をもつ子どもに学校の門は閉ざされていました。就学猶予というかたちで「学校へは行かなくてもいい」とされていたのです。
それに対して「障害をもった子どもも学校へ行くべきだ」とする運動が起こり、文部省(現在の文部科学省)も対応せざるをえなくなりました。
1979年度にすべての障害児を学校へ行けるようにすると文部省は打ち出したのです。
ただ、障害児は普通学校でなく養護学校(現在の特別支援学校)へ行くということにさせられました。
いわゆる「分離教育」で、これに対し「統合教育」を求める人たちが反対運動を始めます。これが「養護学校義務化阻止闘争」と呼ばれるものです。
障害児と健常児の教育の場を分離すれば、差別や偏見が生まれてくるのは必然です。
小学生のようなまだ偏見や差別をもたない時期に障害児と健常児がともに生活する経験をもつことが、障害者差別をなくしていくうえでどうしても必要とぼくも考えていて、この闘争に参加しました。
この闘いは敗北しましたが、1979年以後、障害児の保護者のなかに子どもを普通学校に入れようとする人が続出したのです。
そのような状況のなかで、障害児は普通学校で健常児とともに育ち、ともに学ぶべきだとする「共育・共学」を求める組織として全国連が生まれたのでした。

変わっていった高校入学の選抜方法

全国連ができてしばらくして、ぼくも運営委員になりました。
運営委員会ではいろいろな議論を勉強しましたが、そのひとつとして「障害児の高校入学」についての勉強会をしたのです。
その席上で、毎日新聞の論説委員もされた山崎政人さんが、「高校入試について」ということで「高校入学問題の歴史」をくわしく語ってくださったことを覚えています。
また、このとき山崎さんは「いずれ日本にもやってくる“新自由主義”の潮流」を解説され、「新自由主義が目指す教育改革がどんなものかを知るために、フリードマン著の『選択の自由』を読むといい」とすすめられました。いまふり返っても、時代を先どりするような優れた勉強会であったと思います。
山崎さんが語ってくださった高校入試の歴史をかいつまんだかたちで紹介しましょう。手元にある資料を見ながら、思いだし思いだし書いてみます。
高校の入学方法としての選抜のしかたについて通達が出たのは、1948年の2月のことでした。
この通達では「学力検査は廃止し、知能検査や調査書を参考にして選抜する」となっていました。
新制度高等学校が発足したのは、この年の4月のことです。
1951年になって「公立高等学校入学者選抜について」という通達が出されます。
ここで、それまでおこなわないとされてきた学力検査について「例外的に認める」ということになりました。
そして、これ以後、入学者の選抜方法として学力検査があたりまえということになっていきます。
この通達のなかで注目すべきは次のようにふれられていることです。
「入学志願者数が募集人員に満たない場合は、全員入学を許可するものとする。ただし、身体の状態から見て修学に耐えないと認められる者を除くことができる」
ここでは定員内不合格は出さないと明示しながら、「身体の状態から見て修学に耐えない者」は不合格としてよいとしています。
これが適格者主義の始まりといっていいかもしれませんが、ただ「除外」される対象は慢性の病気や重い肢体不自由をもつ子どもであって、知的障害のような「授業についていけそうもない子ども」は対象になっていないことを注意しておきたいと思います。
ただ、この通知では「全入が建前」と強調されていることをおさえておきます。
この後、1954年に「入学者選抜の権限は校長にある」ことを明確にした通知が出されます。

希望する者は全員高校に入れてほしい

1960年代に入ると、新しい動きが起こります。それは高校全入運動です。
高校全入運動という言葉は読者のみなさんの多くにとって耳新しい言葉だと思いますが、かつてこんな運動があったのです。
それは高校への進学率が急激に増えたことを背景にして起こりました。
高校への進学率は1950年にはわずか42.5%でした。ぼくは1957年に岐阜県美濃市の中学校を卒業しましたが、高校へ進学したのは卒業生の半分で、半分は就職しました。そういう状況だったのですが、1961年に60%台になり、1965年には70%台に達し、1970年には80%を越しました。
急激な増加でした。戦前の中等学校(戦後の高等学校にあたります)は一部エリートやお金持ちの子弟のための学校でしたが、戦後の高校は誰もが行くところというふうに変わっていきました。
そこで、保護者の側から「希望する者は全員高校に入れてほしい」という声が出てきたのです。
(次回につづく)

前回 連載29 高校入試にのみ採用されている「適格者主義」


娘・涼さんと

 

プロフィール
やまだ・まこと
小児科医。八王子中央診療所所長。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。本誌編集協力人。

 

 

 

 

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