筆者からのメッセージ

2018年11月2日

筆者からのメッセージ 連載1
児童精神神経科医
石川憲彦

連載1 『みまもることば』

<筆者からのメッセージ>

「子は、親の言うようにはならぬ。行うようになる」
昔、「ち・お」で紹介した金言。通りすがりの寺の掲示板で見つけ、正に名言と感服しました。
それもそのはず。
人間が得る全情報量の80%は視覚情報。
親のすることは五感全てを用いて観察しているので、ほぼ100%受け入れられます。
けれど、言葉だけから得られる情報なんて、ほんの一部に過ぎません。
しかも、人間がまじめに語り合う時間なんて、ほんのわずか。
一方、行動は、睡眠も含めて24時間休むことがありません。
当然ながら、相手が本気で聞く気になっている時でない限り、いくら親が熱心に言って聞かしても馬の耳に念仏となります。
えっ?自分に都合のいいことは、小声でちょっと話したことでも聞いている!、ですか?
これは虫がいいと怒ってはいけません。
生きるのに有利な条件を選択的に感知する。これこそ生物が生き残っていくための、最重要戦略の一つ。
フフフ、うちの子なかなか優秀だと喜ばなければ。
・・・などなど。子どもの精神・心理の専門医として約半世紀近く、「子が思い通りにならない」と感じる親たちへのアドバイスを続けてきました。
ところが!です。
長時間かけて懇切丁寧に最善の策を教えてあげても、その通りに言うことを聞いてくれる親のなんと少ないことか!
空しい。悔しい。
つい「わたしだってね、ちっとは知れた専門家。少しはリスペクトしろ!」と怒りたくなる。
でもそれはできないから、内心で「子も子なら、親も親だ!」と毒舌をたたく。
ン?!
これって、親とそっくり。力が入れば入る程、「親が親なら、医者も、医者だ」になっちゃうものなのですね。
というわけで私のクリニックでは、原則、忠告や説教は禁止。
若い頃は、一緒にキャンプに行ったり、合宿したり、親子・スタッフ一同でいろいろ遊びまわるのが診療でした。
加齢現象で、今は心理士、看護師、ワーカー、事務などのスタッフと教員・学生その他多様な経験を積んだボランティアに子どもと遊ぶのは委ねました。
約半世紀、そんな児童精神医療を続けてきた経験から、「ち・お」や「お・は」に書き綴った言葉がこの本に化けました。
互いに時間をかけて、信じ合って、尊重し合う。
この「みまもり」こそ、現代人が一番苦手とすること。
これを再発見していきたい人たちに、少しは届く言葉になっていたらいいなと願いつつまとめた本です。
みまもることば

みまもることば

<本文より一部抜粋>

ちょっと手を貸してあげればおさまることも
たとえば、攻撃的になる、イライラする、泣きぐずる。
これは、精神的に不快な刺激があったときに、本人の不快さをあらわす反応だよね。
大人なら表には出さない感情を素直に出している。
逆にいえば、大人が推測する「原因」とのズレは少ないわけで、その原因をとりのぞくとか、ちょっと気をそらせてあげるとかすれば、おちつきます。
下痢、腹痛、便秘、嘔吐。
もし、精神的なことが原因でこれらの症状が出ているとすれば、本人がなにかに緊張していて不安で、現状を受けとめかねているということでしょう。
あまりね、「腹が立つ」といったような強い情動から起こる症状ではないんですよ。
だから、少し優しくしてあげればいい。
身体症状が出ているのだから、からだの病気としてゆっくり看病してあげる。
それ自体が精神的なケアにもなるわけですね。
「こんなの気持ちの問題よ。ストレスぐらいなんなのよ」と突き放されてしまっては、こどもは気持ちの行き場を失ってしまいます。
指しゃぶりや爪かみは、「かわいそうに。愛情をかけてほしいのね」と見るか、「いろいろ苦労しながら自分で努力している」と見るか。
脱毛や眉毛抜きという行動もね、ちょっと自傷行為に似たところがあって、自分で自分の問題を処理しようという傾向が強すぎるのかもしれないけれど、基本は同じ。
なにかたいへんなこと、困ったことをしていると見るのか、「すごい、こんなふうにして頑張っているのか」と見るかで、ケアのしかたも変わってくるし、結果はまったくちがってしまう。
いずれにしても、「これだ」という原因が自分に思いあたる場合には、勘ちがいであろうと思いこみであろうとあまり気にしないで、ちょっと手をかけてあげてよくなったら、それでいい。
大人だってね、自分でちょっときついなと思ったときに、誰かが「私のせいかも」と責任を感じて優しくしてくれれば、なんとなくおさまってしまうことって、けっこうあるでしょ。
(53ページから55ページ)
人間関係がうまくいく三つの条件
では、俗にいう「仲がいい」とはどういう関係か。
きょうだいをふくめ、人間関係がうまくいく三つの条件を話しましょう。
一つめは「たがいをよく知っている」こと。
長期間、さまざまな場面を通じていい面もいやな面も知っている。
これは人間関係を継続していくうえでの基本要素です。
きょうだい関係はこのハードルがすでにクリアされている点で、特別といえるかもしれません。
二つめは「相性がいい」こと。
相性はあらゆる人間関係にとって大切な要素のひとつです。
ただし相性というものは人それぞれで、じつにバラエティーに営んでいる。
身のまわりでも「なぜあんな人が好きなの?」と思うこと、あるでしょ?
三つめは、「たがいの利害が対立しない」こと。
理想をいえば利害を越えて認めあえるのが望ましいのですが、「たがいの利害が共通しているかぎり、人間関係はうまくいく」というのが現実です。
家じゅう、みんな仲がいいのは敵が外にいるとき。
たとえばプロボクシングの亀田きょうだいは、家族を守るために対戦相手はもちろん、世間やマスコミなどと一致団結して戦っていますよね。
あるいは、社会的弱者をかかえた家族を守るために結束する。
「家、家族」対「外の社会」という構図が成立していると、概してきょうだい仲はいいものです。
一方、親が共通の敵である場合もきょうだい仲はよくなります。
たとえば、DVの親に対して、きょうだいがたがいに守りあうなど。
しかし、これら三つの条件は時とともに変わります。
時を経て人生観や価値観が変わり、状況が変わるにつれて、かつて仲がよくても疎遠になる関係のほうが多いものです。
もちろん、その反対もありえます。
家族だって「仲がいい」とはそういったものです。
(92ページから93ページ)

ぶちギレていいんです
親だって、頭にきたらぶちギレていいんです。
そして、こんなに激しい叱り方をしたらこどものトラウマになるかもとか考えているうちはだいじょうぶ。
だってトラウマになるほどの状態にあるときは、こどもを案ずるような余裕はないはずです。
むしろ大切なのは、おびえるような叱り方をしてしまったら、その後どうするかです。
「今日はやっちゃったな。相手はどんな様子だろう。さてさてどうしてああなったのか、これからどうしたものだろうか?」と考える。
関係をとりもどすために償いをする。
後悔や反省はほどほどにして、仲直りするほうが大切です。
たいていこどもから先に仲直りしてきますよ。
どうしても、わが子に「テメェ、コノヤロウ」とやってしまう場合、親に大きなあせりがあるのかもしれません。
家庭や仕事、生き方にわだかまりがある、生活にゆとりがない。
それなら、その問題を解決しないかぎり、こどもへの爆発が続くでしょう。
いらだつ原因を整理するしかありません。
できれば、こどもにカッとしたときにクッションになる他人の存在や、逃げこめる場所を探すのがいちばんです。
でももし、ぶちギレている自分を認めたくない、自分自身に驚いているのであれば、そんな姿を他人には見せたくないし、隠したいと思う。
するとひとりで問題をかかえることになってしまいます。
こどもにまで〈私〉がどう見られるかを気にする人もいます。
そんな場合は、「テメエ、コノヤロウ」の反対で、自分が取り乱したことに、おびえてしまう。
理性的に叱らなくてはと思うあまり、身動きがとれなくなる。
自分なんかがこんなことで叱っていいのか、と自問自答してしまう。
いまの親世代が生まれ育った一九七〇年代ごろは、下水道の整備が進み、くさいもの、粗野なものが目の前から隠され、清潔志向がきわだっていった時代です。
もはや住むべきところは自然界ではなくなったので、ひたすら人間界のルールにのっとり、場の空気、人の顔色を読むことこそが生きるために必要だと思わされてきた。
こどもを産み育てる今日までずっと他人の目に縛られ、自己抑制してきた。
わが子を前にしても、縛られてしまう。
でも、わが子にくらい自分をさらけだしましょう。
感情を出したり、キレたっていい。
〈私〉がどう見られるか、そんな視点から解放され、自分自身に居直る生き方を学び直す、いいチャンスです。
(140ページから142ページ)


いしかわ・のりひこ
1946年、兵庫県生まれ。児童精神神経科医。元・林試の森クリニック院長。「ち・お」編集協力人。著書に、「こころ学シリーズ」Ⅰ『「精神障害」とはなんだろう? 「てんかん」からそのルーツをたずねて』(共著、小社刊)など。

 

 

 

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