不登校のあとの暮らし方――「働く」までのまわり道

2020年1月16日

フリーライター 野田彩花

連載2 「ひきこもる気持ち」

突き刺さってきた「ニート」の烙印
中学を卒業して、ようやく学校へ行っていない後ろめたさから解放され、ゆっくり考えることができる。最初はそう思っていた。でも、そんな自由はやってこなかった。
学校へ所属せず、働いてるわけでもない自分は、いったい何者なんだろう?
どうやって、自分の存在を説明すればいいんだろう?
そんな漠然とした、出口のない不安に襲われるようになったのだ。
ちょうど同じころ、「ニート」*という言葉が爆発的に流行しはじめた。
テレビでは連日特集が組まれ、識者や専門家と呼ばれる人たちが、迷いや葛藤などみじんも感じさせない口調で、断定的なコメントを積み重ねていった。
「一刻も早く立ち直らせるためには」「経済的損失も大きい」「親御さんの気持ちを考えると……」などなど。
それは、耳に痛いを通り越して、突き刺さってくる刃だった。
脳みそに焼きゴテを押しつけられたみたいに、「自分は社会から望まれていない、迷惑な存在なんだ」というショックと申し訳なさを「ジュッ」という音とともに聞いた気がした。それは決定的に私の存在を否定する、いまも消えない痛みだ。

言葉にならない、語りえない領域
ひきこもっていたころのことを言葉にするのは、だからとてもむずかしい。
言葉にならないものを、抱えこむしかなかったあの日々。
その中心には、語れなさの塊があった。塊は沼を連想させる。生ぬるいのに、時にびっくりするほど冷たくて、果てがない。もがけばもがくほど、絡めとられていく。苛立ちは募るほど、言葉は失われつづけていく。誰とも、どこともコミットできない、出口のない混沌。
外からは、じっと動かず固まっているように見えたかもしれない。
けれど私の頭のなかは、いつも信じられないほど忙しかった。
言葉にならない感情がうごめいて、葛藤や嫌悪、焦りや否定の嵐に少しも心が休まらない。
あのころの私は、気づけば叫びだしそうになるのを、必死で抑えていた。叫ぶのを我慢することだけで、一日が疲れ果てて終わってしまうこともあったし、病院や入院といった言葉が何度も頭をよぎった。表に出してしまったら、ほんとうに日常から追放されてしまいそうで、こわかったのだ。
実際、当時のことを友人に話したら、「そんな状態で、家族の理解がなかったら入院させられるところだよ」といわれた。
たしかに、もしも親や周囲の人に否定的なことをいわれていたら、私はほんとうに崩れてしまっていたかもしれない。
こうして当時をふり返ることすら困難なくらいに、傷つき、痛み、絶望してしまっていたかもしれない。
とはいえ、親や家族も先が見えなくて苦しいだろう。子どもやきょうだいがひきこもってしまったら、心配で、自分も安心していられなくなると思う。
私にとってひきこっていた日々は、「言葉にならないものを、抱えこむしかなかった」のだと書いた。だけど人の内側には、そもそもが言葉にならない、語りえない領域があるのではないだろうか。
表に出されるよりもずっと、いろんなことを思っている。言葉にはならなくても、たしかにそこにある。ひきこもっているとか、いないは関係ない。

「かたちにならないもの」を尊重すること
そういう「かたちにならないもの」への尊重について、私には対照的ともいえる二人の大人との出会いがあった。
ひとつは、たまたま母についていった親の会でのこと。通信制の高校の先生をやっている人に、執拗に外に出るように誘われたのだ。
その先生は「あなたはやればできるのだから」とポジティブな言葉を使って、私を勇気づけ、立ち直らせようとしてきた。
けれど私には、その好意は一方的で、どうしても受け入れられるものではなかった。
「あなたの基準で、私をはからないで!」という強い抵抗と反発を覚えた。
自分の基準を絶対視して、そこに私をあてはめようとしないで、と。
それからしばらくして、母もその親の会には行かなくなったが、先生からの手紙は何年か続いた。私はそれをうんざりしつつも無視できず、読んではぐったりしていた。
もうひとつの出会いは、その少し後にやってきた。
母の知人であったその人は、「あなたのことは、あなたにしかわからない。当然よね」というスタンスで、私の言葉にならない領域を尊重してくれた。「できる」も「できない」も、「やる」も「やらない」も、それは私が決めることなのだからと、彼女は判断もジャッジもしなかった。
その姿勢に、当時の私は安らぎを見出し、いまの私は尊敬を覚える。
とはいえ、そのような尊重のかたちは、おたがいのあいだにある適度の距離感がないと成り立ちにくいかもしれない。
ひとつ屋根の下で暮らす関係では、「わかってほしい」「わかりあえるはずだ」といった思いが前に出て、「わからなくてあたりまえ」といわれても「はい、そうですか」と素直に受け入れるのはむずかしい。
母の知人が尊重してくれたように、私は「自分のことは、たとえ不完全でも、失敗しても自分で決めたい」と思っていたる。
ほかの誰かに答えを出してもらうのではなく、悔しくても、かなしい思いをしても、ちゃんとひき受けられる自分でいたい。
外に出られるようになったいまだって、べつに上手く生きられるようになったわけではない。
失敗や、痛い思いはたくさんしている。
きっと人はみんな誰にも替われない、その人だけの孤独な葛藤や闇がある。
でも、だからこそちゃんと自分で苦しんで、悩んでいきたい。そう思っている。

わからないまま隣にいてほしい
そんな私が、ひきこもっている当事者の家族やかかわりのある人たちに伝えたいことは、自分の基準にあてはめてわかった気になるよりも、「なぜひきこもるのか、なにを考えているのかわからない」という、そのわからなさに直面してみてほしい。
わからないというのは気持ち悪い。不安になるし、忍耐もいる。
それらをすべて承知のうえで、ムチャなお願いをしてみる。
わからないことを、ムリにわかった気にならないで、わからないまま隣にいてほしい。当事者にとっての尊重のかたちを探してほしい。
もちろん自分をいたわることも大事にしてほしい。
そしてそれは家族だけじゃなく、関係のある立場の人や、もっといえば社会にも拡がり、つながっていってほしい願いだ。
私も当事者のひとりとして、苦しかったあの日々と向きあい、書くことで、いっしょに考えていきたいと、そう思っている。

* 2004年、玄田有史・曲沼美恵著『ニート――フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎)以降、マスメディアで盛んにとりあげられるようになった。

前回 連載1 「高校へ行かなかった私」

のだ・あやか

大阪府出身。1988年生まれ。不登校・ひきこもり経験をしたのち、19歳でNPO法人フォロが主宰する18歳以上の居場所(現在の名称は「なるにわ」)につながる。共著に『名前のない生きづらさ』(子どもの風出版会)、〈お・はNo.106〉『学校に行かない子との暮らし』(小社刊)。

撮影 小山田喜佐

 
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